英国郵便局事件(ホライゾンITスキャンダル)完全解説

事件の概要

英国で発生した「郵便局事件」、通称「ホライゾンITスキャンダル」は、英史上最大の冤罪事件の一つと称されています。この事件は、富士通の子会社であるICLが開発した会計システム「ホライゾン」の欠陥が直接的な原因となり、数多くの郵便局長が不当な罪に問われることになったものです。

事件の発端:システムの致命的欠陥

ホライゾンシステムの導入と初期の問題

事件の始まりは1999年に遡ります。富士通の子会社が英国各地の郵便局に会計システム「ホライゾン」を導入した後、システム上の残高が、実際の現金よりも多く表示されるという不具合が頻繁に発生しました。

この問題は「数百」ものバグを含んでおり、「ダルミントン・バグ」や「カレンダー・スクエア・バグ」といった具体的な不具合も報告されています。システムが導入された当初の1999年からすでに欠陥が把握されていたにもかかわらず、20年近くにわたって問題が続いていたと富士通の欧州事業を統括する執行役員ポール・パターソン氏は後に認めています。

郵便局長の責任転嫁

英国の郵便局のほとんどは個人で運営されており、郵便局長たちは自営業者としてポスト・オフィスと契約を結んでいました。彼らの契約には、郵便局内の現金や在庫の不足について運営者が全責任を負うという規定が含まれていました。

そのため、当初、ホライゾンシステムの不具合によって生じた差額は、個々の郵便局長の責任とされ、差額を自ら穴埋めするよう求められました。これを拒否した場合、契約を打ち切られるケースもありました。

組織的な隠蔽工作

郵便局の運営会社であるポスト・オフィスは、ホライゾンは堅牢であり、不足や不一致はシステムの問題ではなく局長の責任であると主張し、他の郵便局長が同様の問題を報告しているという事実を不正確に否定していました

被害の実態:人生を破綻させた冤罪

訴追の規模と深刻さ

その結果、多くの郵便局長が不正会計や窃盗、詐欺の罪で訴追されました。2015年までに736人が訴追され、政府によるとホライゾンが証拠となって起訴され有罪判決を受けたとみられる個人は952人に上ります。

被害者の悲劇

訴追された人々は、職や家を失い、自己破産に追い込まれ、心身に強いストレスを受けました。英メディアによると、一連の事件に関連して少なくとも4人が自殺しており、独立調査委員会の報告書では、事件が少なくとも13人の自殺につながった可能性を排除できないと指摘されています。

真実を追求した人々:長期間の闘い

アラン・ベイツ氏の活動

この問題にいち早く警鐘を鳴らしたのは、元郵便局長のアラン・ベイツさんでした。彼は2004年に『Computer Weekly』誌に問題を報告し、2009年には被害にあった郵便局長らの組織「Justice for Subpostmasters Alliance (JFSA)」を結成し、郵便当局を相手に訴訟を起こしました。

独立調査の実施と結果

2012年には、議員や運動家からの圧力により、ポスト・オフィスは第三者の会計調査会社セカンド・サイトにホライゾンシステムに関する調査を依頼しました。セカンド・サイトは2013年の中間報告でシステムのバグの存在を指摘し、2015年の報告ではホライゾンがエラーを起こしやすく、富士通の技術者が遠隔でデータを変更できることを明らかにしました。

しかし、ポスト・オフィスはこれらの報告を却下し、システムに組織的な問題はないと主張し続けました。

クラーク助言の隠蔽

また、2013年には弁護士のサイモン・クラークが富士通の専門家証人の信頼性に疑問を呈し、過去の事件の見直しを勧告する「クラーク助言」を行いましたが、この情報も適切に開示されませんでした。

転機:集団訴訟の勝利

歴史的な判決

転機となったのは、アラン・ベイツさんらが主導した555人の郵便局長による集団訴訟「Bates & Others v Post Office Ltd」でした。2019年、高等法院はホライゾンが「バグ、エラー、欠陥」を含んでいると判決を下し、郵便局長の契約が不公平であったと認定しました。

この訴訟は5800万ポンドでの和解に至りましたが、その大部分は訴訟費用に充てられ、被害者に残ったのは1200万ポンドのみでした。

有罪判決の取り消し

この判決を受けて、郵便局長たちは有罪判決の取り消しを求める動きを加速させました。2020年12月には最初の6人の有罪判決が取り消され、2021年4月には英国控訴院がさらに39人の有罪判決を取り消しました。裁判所は、ホライゾンデータの信頼性が不可欠な証拠であり、公正な裁判が不可能であったと認定しました。

国民の関心と政治的動き

テレビドラマの影響

事件への国民の関心を決定的に高めたのは、2024年1月に英国ITVで放送されたテレビドラマ「ミスター・ベイツvsポストオフィス」でした。このドラマは1000万人以上が視聴し、これを機にリシ・スナク首相が「英国史上最大の冤罪の一つ」と発言し、被害者全員の迅速な無罪確定と補償のための新たな法案を導入すると発表しました。

法制度の改革

2024年5月には「Post Office (Horizon System) Offences Act 2024」が成立し、ホライゾン関連の有罪判決を一律で取り消すことになりました。スコットランドでも同様の法律が可決されています。

補償制度の現状

三つの補償制度

補償に関しては、有罪判決が取り消された人々向けの制度、損失を被ったが有罪判決を受けていない人々向けの制度、そして集団訴訟に参加した人々向けの制度の三つが設けられています。

補償の実態

政府は、有罪判決が取り消された被害者に対し、一人あたり最大60万ポンド(約1.2億円)の補償金を支払う救済法を制定し、2024年6月末までに7900人以上に総額約11億ポンド(約2200億円)が支払われました。

しかし、一部の補償は破産手続きの中で債務返済に充てられ、被害者の手元に残らなかったケースもありました。また、独立調査委員会は、既存の補償制度が不十分であり、郵便局の運営会社が補償に後ろ向きなケースが多かったと指摘しています。

富士通の責任と対応

遅すぎた責任の認識

富士通は、2024年1月に欧州事業を統括する執行役員が英議会委員会で「納入当初からエラーや欠陥があった」と認め、「道義的義務」として将来的に補償に関与する意向を示しました。富士通は、英政府が支払った補償金の一部を負担すると表明しています。

現在の状況と今後の展望

継続する調査

現在も独立調査委員会による調査が進行中であり、2025年7月には最初の報告書が公表され、金銭的補償の適格者が「現在で1万人」とされています。委員会は、被害者だけでなく影響を受けた家族に対する幅広い救済措置が喫緊の課題であると勧告しました。

刑事捜査の進展

また、刑事事件としての捜査も進められており、郵便局と富士通の担当者に対する偽証罪や司法妨害罪の可能性が調査されています。弁護士に対する規制当局の調査も継続しています。

被害者家族の活動

事件の被害者の子どもたちによる団体「子ども会」も発足し、富士通との面会や被害者家族救済のための基金づくりを目指しています。

まとめ

ホライゾンITスキャンダルは、技術的欠陥が人々の人生を破綻させ、司法制度の信頼を根底から揺るがした深刻な事件です。この事件から学ぶべき教訓は、ITシステムの信頼性確保の重要性、企業の社会的責任、そして被害者の声に耳を傾けることの大切さでしょう。現在も続く調査と補償の取り組みを通じて、真の正義の実現が求められています。

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