長崎市の悲劇

長崎に原爆が投下されて79年目です。
長崎市では記念式典を行いますが、イスラエルを招待しなかったため、アメリカなどが出席を取りやめる事態になっています。
長崎市長については過去にも「悲劇」が起きています。まとめてみました。

長崎市長銃撃事件

1990年1月18日15時頃、長崎市役所前で本島等市長が右翼団体幹部に銃撃されました。
本島市長は左胸部に被弾しましたが、弾道が変わったため一命を取り留めました。
犯人は、本島が県議時代と市長就任後で政治姿勢が変わったことに不満を持っており、対話を求めていましたが拒否されていたとされています。

長崎市長射殺事件

2007年4月15日、長崎市長選挙が告示され、現職の伊藤一長市長を含む4人が立候補しました。
4月17日19時51分頃、選挙事務所前で伊藤市長が指定暴力団員に銃撃されました。伊藤市長は翌日未明に死亡しました。
犯人は現行犯逮捕され、動機については公共工事や交通事故に関連して市を恨んでいたとされています。

平和祈念式典参加拒否事件

長崎市は2024年8月9日に行われる平和祈念式典について、イスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの駐日大使を招待しないこととしました。
7月19日付けで、平和祈念式典への招待を受けたアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの大使らは連名で鈴木史朗市長に書簡を送りました。
書簡では「イスラエルを式典に招待しないことは、イスラエルを式典に招かれていないロシアやベラルーシのような国と同列に扱うことになり、不幸で誤解を招く」として、大使らが式典への参加を見合わせる可能性に言及していました。
当日、6か国の大使は欠席しました。

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