バレー女子日本代表の五輪での成績
「東洋の魔女」の一人が亡くなったそうです。
1964年東京五輪で金メダルを獲得、「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子の全日本チームの一員、井戸川絹子(いどがわ・きぬこ=旧姓谷田)さんが4日、脳出血で死去した。81歳だった。(朝日新聞)
「東洋の魔女」と言われるほど強く、1964年の東京五輪で優勝しました。
ということで、調べてみました。
五輪に何度も挑戦してようやく金メダルを獲得したものと思い込んでいましたが、バレーボールが五輪の正式競技になったのは1964年のようです。
参加チームは6チームだけで直前になって北朝鮮が不参加になり、代わりに韓国が急遽参加したとか。
それほど強いチームであれば、次の1968年も優勝しそうなものですが、実際は銀メダルでした。
メンバーを調べたところ、1964年と1968年では全員が替わっていました。それでも銀メダルだからすごいです。
1964年
河西昌枝、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子、磯辺サタ、松村勝美、篠崎洋子、佐々木節子、藤本佑子、近藤雅子、渋木綾乃
1968年
高山鈴江、吉田節子、岩原豊子、笠原洋子、小野沢愛子、小島由紀代、福中佐知子、宍倉邦枝、井上節子、生沼スミエ、古川牧子、浜恵子
次の1972年も銀メダル。
そして1976年は金メダルを獲得。「新東洋の魔女」と呼ばれ史上最強のチームでした。最後まで1セットも落とさない完全優勝。やる前から「金メダルを取るのは当たり前」とされていて、「金メダルを取るより代表チームのレギュラーになる方が難しい」と言われていました。
次の1980年モスクワ五輪も金メダルが期待されましたが、日本は参加をボイコット。
そして1984年ロス五輪で日本は銅メダルを獲得。
この後、日本は低迷期に入ります。
そして2012年ロンドン五輪で銅メダル。32年ぶりのメダル獲得となります。
下表のとおり成績をまとめてみましたが、メダルは「東側諸国」ばかり。アメリカは金メダルを取ったことがありません。
1992年のEUNは旧ソ連の統一チームです。
年 | 日本の成績 | 1位 | 2位 | 3位 | 参加チーム |
---|---|---|---|---|---|
1964年 | 1位 | 日本 | ソ連 | ポーランド | 6 |
1968年 | 2位 | ソ連 | 日本 | ポーランド | 8 |
1972年 | 2位 | ソ連 | 日本 | 北朝鮮 | 8 |
1976年 | 1位 | 日本 | ソ連 | 韓国 | 8 |
1980年 | 不参加 | ソ連 | ブルガリア | ルーマニア | 8 |
1984年 | 3位 | 中国 | アメリカ | 日本 | 8 |
1988年 | 4位 | ソ連 | ペルー | 中国 | 8 |
1992年 | 5位 | キューバ | EUN | アメリカ | 8 |
1996年 | 9位 | キューバ | 中国 | ブラジル | 12 |
2000年 | 最終予選敗退 | ユーゴスラビア | ロシア | イタリア | 12 |
2004年 | 5位 | 中国 | ロシア | キューバ | 12 |
2008年 | 5位 | ブラジル | アメリカ | 中国 | 12 |
2012年 | 3位 | ブラジル | アメリカ | 日本 | 12 |
2016年 | 5位 | 中国 | セルビア | アメリカ | 12 |
[ 2020年12月6日 | カテゴリー: スポーツ | タグ: バレーボール , 五輪 , 東洋の魔女 ]
« 年末ジャンボ宝くじ、ジャンボとミニで得なのは?(2020年) | 「鬼滅の刃」のアマゾンへのリンク »
コメントを残す