日本の二人の脱獄王

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日本における最後の脱獄は2018年の松山刑務所からのものが最後です。
近年では脱獄するのは困難です。
昔もやはり脱獄は難しかったのですが、中には複数回の脱獄に成功した者がいます。

明治の脱獄王 西川寅吉

西川寅吉は明治の脱獄王です。「五寸釘寅吉」と呼ばれていたそうです。
6回脱獄したとされています。
次の記事が詳しいので、これを元にまとめます。

西川寅吉は1854年、三重県に生まれました。
1875年、度会監獄署に入監します。
1882年、横浜監獄署に入監します。
1884年、三重監獄署に入監します。
1884年、三重監獄署を脱獄します。
1885年、同じく三重監獄署を脱獄します。
この頃、強盗をしようとした際に警察に見つかり、2階から飛び降りた際、工事現場で五寸釘を踏み抜いたもののそのまま10キロを逃走のあと、捕まったとされます。

1885年、空知集治監に入監します。
1886年、空知集治監を脱獄します。
1889年、樺戸集治監に入監します。
1891年3月、樺戸集治監を脱獄します。屋外作業の際、他の囚人が看守に襲いかかったのに便乗して逃走しました。5日目に捕まります。
1891年5月、また樺戸集治監を脱獄します。
1892年10月、また樺戸集治監を脱獄します。

1892年、宮城集治監に入監します。
1893年、埼玉監獄署に入監します。
1893年、釧路分監に入監します。
1897年、恩赦により無期から52年に減刑されます。模範囚となります。
1899年、東京新聞が「五寸釘寅吉」の連載を開始します。
1901年、網走分監に入監します。
1924年、釈放されます。

昭和の脱獄王 白鳥由栄

白鳥由栄は昭和の脱獄王です。
4回脱獄しました。
その生涯は、吉村昭の「破獄」に描かれ、ドラマ化もされています。

白鳥由栄(しらとりよしえ)は1907年、青森県に生まれました。
1933年に強盗殺人で逮捕され、青森刑務所に投獄されます。
1936年、手桶のタガを利用し合鍵を作って脱獄します。翌日に自首します。劣悪な環境、看守の態度に抗議するためでした。これにより無期懲役になります。
1941年、秋田刑務所に移監されます。
釘を使いブリキ板で鋸を作り、毎日少しずつ天井の鉄格子の周りを切り取ります。
1942年、脱獄に成功します。
3カ月後に自首し、網走刑務所に移されます。
一年間、毎日、味噌汁を釘に吹きかけて錆びさせて外します。
1944年、脱獄に成功します。
逃亡中に畑泥棒と間違えられ農家を殺害。
1945年、札幌刑務所に収監されます。
特別房に入れられますが、金属片で鋸を作り床板を切断し食器で穴を掘ります。
1947年、脱獄に成功します。
捕まった後、改めて裁判が行われ懲役20年となります。
1961年、仮釈放されます。
1979年、心筋梗塞で亡くなりました。

[ 2023年10月23日 | カテゴリー: 豆知識 | タグ: , ]

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