1982年、アンスラックスのスコット・イアンがデビュー前にロニー・ジェイムス・ディオに挨拶した。
1987年に再会した際、ロニーは最初に会ったときのことを覚えていた。
「君のバンド、アンスラックスのことを話してくれたじゃないか、忘れるわけがないじゃないか」
https://amass.jp/159091/
デフ・レパードのヴィヴィアン・キャンベルは以前、ディオに加入していた。
ディオを離れたのは脱退ではなく、ディオのマネージャーであるウェンディ・ディオに解雇されたからだと言う。
「彼女はいつも、僕は単なるギタリストで、替えがきくと考えていた。ロニーはもうちょっとわかっていたと思うけどね」
https://www.barks.jp/news/?id=1000219454
ウェンディはディオのマネージャーであり、妻であった。
彼女はインタビューで「ホーリー・ダイバー」はブラック・サバスのために書かれた曲であったと言う。
「彼はブラック・サバスに在籍していた時に「ホーリー・ダイバー」と「ドント・トーク・トゥ・ストレンジャーズ」を書いていたので、それらはサバスの曲になるはずだった」
https://amass.jp/159114/
ヨーロッパも若いときにディオに会っている。
彼らが1986年に初めて日本ツアーをした際、ディオも来日していてジミー・ベインの誕生日を祝っていた店で遭遇する。
「ロニーはとても紳士で、一晩中、僕の質問に付き合ってくれたんだよ」
https://amass.jp/155627/
[2022-07-16]
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