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「哲学者の密室」

笠井潔の「哲学者の密室」を読んだ。矢吹駆(ヤブキ・カケル)を主人公とする推理小説の第4作目。このシリーズは、日本人の書いた話なのに、舞台はフランスとなっていて、主人公以外の登場人物はすべて外国人。「外国のミステリーは登場人物の名前が覚えにくいから嫌いだ」という人は読まない方がいい。
それ以前に、この作品は、長大である。読み終わって、文字数を数えてみた。行数×桁数×段数×ページ数で算出すると、18×42×1×1194となって、文字数が約90万文字。これは私が読んだミステリーでは最大である。今までのトップは島田荘司の「龍臥亭事件」で約75万文字。分厚いミステリーの代名詞、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」が約36万文字。いかに、この「哲学者の密室」が長大であるかが分かるだろう。
で、なぜ、こんなに長くなっているかというと、たくさん人が死ぬからではない。密室殺人が二つあるだけである。この密室殺人を解き明かす推理が何パターンも語られているから、というのが理由の一つ。そして、もう一つの理由が、哲学に関する論議である。密室殺人の状況があまりに異常なので、それなりに納得のできる犯行の動機がないと説得力がなく、そしてこの動機を語るためには哲学に関する論議が必要となり、このように長大な内容になってしまったというわけである。
今、人気のある森博嗣(「すべてがFになる」など)は、この犯行の動機をあえてはっきりさせないというスタンスで書いていると思われる。大がかりなトリックを使うには、それを納得させるだけの犯行の動機が必要だ、というのが、推理小説の暗黙の了解であろうが、これにとらわれ、トリックが小粒になってしまっては面白くない。島田荘司はとんでもないトリックを強引に読者を納得させるが、森博嗣は最初から十分な動機を書く気がない。そう思われる。
この「哲学者の密室」は、日本の推理小説史に残る傑作だとは思うが、もう少し潔く、冗長な部分を削ってもよかったのではないかと思う。

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[2001-12-26]

笑う | 武富士