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山田風太郎先生、死去

山田風太郎先生が(2001年)7月28日に亡くなった。
私は、本は、ミステリーか山田風太郎先生しか読まないので、ショックが大きい。
というのは嘘である。
山田風太郎をよく読むのは本当であるが、もうすでに死んでいる人だと思っていた。

山田風太郎といえば、忍法である。
それまでは「忍術」と呼んでいたものを「忍法」と呼ぶことを発明したのは山田先生らしい。
さて、インターネットで山田先生の死去のニュースをどう取り上げているか見てみた。
まずは時事通信から。

忍法帖シリーズで一世を風靡(ふうび)した作家、山田風太郎(やまだ・ふうたろう、本名山田誠也=やまだ・まさや)氏が28日午後5時30分、肺炎のため東京都多摩市の病院で死去した。79歳。兵庫県関宮町出身。自宅は多摩市桜ケ丘2の4の2。密葬が31日午前、近親者のみで行われた。喪主は妻啓子(けいこ)さん。

医家に生まれ、20歳で上京。東京医大在学中の1947年に懸賞応募作「達磨峠の殺人」で推理作家としてデビュー。伝奇小説などを経て、58年からの「甲賀忍法帖」や「魔界転生」など忍法帖シリーズが大ヒット、人気作家の地位を確立した。これらを収めた「山田風太郎忍法全集」はベストセラーに。60年代には「警視庁草紙」「明治断頭台」などの明治開化物、「八犬伝」など歴史物も手掛け、虚無感とユーモアが漂う独自の作品世界を築いた。


次は、毎日新聞。

忍法物や明治開化期を舞台にした小説で知られる作家の山田風太郎(やまだ・ふうたろう<本名・山田誠也=やまだ・せいや>)さんが28日午後5時30分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。密葬は近親者で済ませた。自宅は東京都多摩市桜ケ丘2の4の2。喪主は妻啓子(けいこ)さん。

兵庫県生まれ。東京医大卒。在学中に「達磨峠の事件」で推理作家としてデビュー。戦後の世相を背景にした問題作を次々に発表し、「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で探偵作家クラブ賞を受賞した。
50年代後半から「甲賀忍法帖」や「くノ一忍法帖」シリーズ、「柳生忍法帖」などを発表して忍法ブームを巻き起こし、人気を集めた。
他の代表作に「魔界転生」「警視庁草紙」「幻燈辻馬車」などがある。毎日新聞に「柳生十兵衛死す」を連載、最後の長編小説になった。また、「戦中派不戦日記」「人間臨終図巻」などでも知られる。今年、日本ミステリー文学大賞を受賞した。


いきなり、本名の読み方が違っている。
怖いですねえ。
どっちが正しいのか、分かりません。

で、「魔界転生」の位置付けを、時事通信は忍法帖シリーズの一つとしてとらえ、毎日新聞は忍法帖以外の代表作としている。
これは時事通信の方が正しい。
「魔界転生」は元々「おぼろ忍法帖」とタイトルが付いていたのである。
これは「忍法魔界転生」によって宮本武蔵や荒木又右衛門、天草四郎などが、よみがえり、それを柳生十兵衛がやっつけるという話なのである。

私はこの山田先生の忍法を研究しているので、いずれその成果をこのサイトで発表することになるであろう。乞うご期待。

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[2001-08-01]

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