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スポーツが感動を与える三つの要素

貴乃花が優勝した。まったく面白くない。千代の富士が引退して貴乃花が出てきたあたりから、大相撲が面白くなくなったのは確かである。昔はよかった。益荒男なんていうのもいて、実はたいして強くはなかったが印象に残っている。今は強くてもよく分からない。

さて、貴乃花の優勝に話は戻る。貴乃花が1勝リードしたまま、千秋楽を迎えたが、その前の日、貴乃花は膝を亜脱臼していた。欠場と思われていたが、千秋楽に貴乃花は出てきて、2位の武蔵丸に破れた。あまりに軽々と負けていた。当たり前である。膝を脱臼しているのだ。簡単にいえば、膝の関節が外れたのである。歩くのも大変だろう。勝てるわけがない。貴乃花と武蔵丸、勝ち星が並んだ。優勝決定戦である。
優勝決定戦では、なんと貴乃花が勝った。優勝である。総理大臣杯の授与では、ドクターマシリトこと、小泉総理が出てきて賞状を読み上げず「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう」と絶叫。結局、おいしいところは小泉総理が持っていってしまった。恐るべし、小泉。

ここで、スポーツの感動を考えさせる3個のポイントがある。まず1点目は「絶叫」である。声が裏返るほどの絶叫がいい。今回の小泉総理の絶叫は、スポーツの人間ではないのに、スポーツ的な感動を与えた。千代の富士の引退の言葉、「体力の限界」に似たところがある。
2点目は「名人の言葉」である。貴乃花のつまらなさは、名言をいわないことである。大鵬も北の湖もそうだ。強いのに名言を残さない。したがって、やはり「体力の限界」という言葉によって千代の富士の方が記憶に残る。長島茂雄は「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残した。やはり、言葉は大事である。具志堅用高は間違いなく日本最強のボクサーであった。それが「ちょっちゅね」では、ダメだ。
3点目は「自分勝手」である。小泉総理の登場は素晴らしいタイミングであった。感動させない横綱など、小泉の前に霞んでしまった。まるでアントニオ猪木のような登場の仕方であった。アントニオ猪木に対戦を迫るプロレスラーが「試合しましょうよ、猪木さん」という呼びかけをし、観客もそれを期待しているのに、猪木はマイクを受け取ると「元気ですかー」となんの脈絡もないことを絶叫し、「一、二、三、ダー」で終わらせてしまう、凄さ。相手のことなど無視。

というようなことを書いたが、本当にいいたかったことは、貴乃花の優勝がやらせであるということ。膝の関節が外れていた人間が、多少X脚とはいえ、強い武蔵丸に勝てるかってーの。相手は横綱だぞ。
板井も馬鹿だよなあ。出てくるタイミングが違っているよなあ。

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[2001-05-27]

スポーツ,格闘技

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