Hotel California - Eagles


グレン・フライが亡くなった。イーグルスなのか、元イーグルスなのか、知らない。

私が買った初めてのCDはホロヴィッツのピアノ・ソナタとイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だったと思う。秋葉原にCDプレイヤーを買い、併せてCDを買ったはずだ。当時、CDの売り場は狭かった。幅一メートルほどの棚が全てだった。秋葉原でその程度だから他のレコード店にCDの在庫はなく取り寄せるしかなかったように思う。
CDの利点は一曲を繰り返して聴くことができる点である。カセットテープでもそれはできるが速さが違う。
私は「ホテルのカリフォルニア」のではタイトル曲を何度も繰り返して聴いた。「擦り切れるほど聴いた」という表現はもはや使えなかったが感覚ではそれほど聴いた。そのためイントロのギターからエンディングのギターまで鼻歌で歌えた。歌詞も覚えたから当時は歌えた。

イーグルスはリンダ・ロンシュタットのバックとして集められたメンバーが組んだバンドであるから演奏力は高い。そしてギタリストのグレン・フライとドラマーのドン・ヘンリーが歌えた。当初の主導権はもう一人のギタリスト、バーニー・レドンが握っていた。カントリーをベースにしていたため初期のヒット曲、例えば「テイク・イット・イージー」などはレドンが作ったはずだ。私はこのイーグルスの「アメリカ的お気楽ロック」路線が嫌いであったがアメリカ人は大好きらしくヒットを連発した。六十年代をイギリス出身のザ・ビートルズに席巻されたアメリカとしては七十年代はアメリカ出身のバンドを歓迎したのかもしれない。1972年にデビューし1976年に発表したベスト盤が記録的セールスだったらしい。普通ならばここがイーグルスの絶頂期となるだろう。
しかしバンド内のバランスは危うかった。ボーカルを担当するグレン・フライとドン・ヘンリーがバンド内の発言力を強めた。彼らも「アメリカ的お気楽ロック」が嫌いだったのかもしれない。ついにバーニー・ラドンが脱退する。
そして作られたのがアルバム「ホテル・カリフォルニア」である。これが彼らの最高傑作であることは間違いない。「アメリカ的お気楽ロック」は排除され、逆に哀愁を帯びた曲が大勢を占める。
アメリカ史上最大の失敗と言えるベトナム戦争は1975年に終わった。国民の多くが挫折を味わった。「ホテル・カリフォルニア」の虚無的なムードはこのアメリカの社会情勢とは無関係ではないだろう。

ドン・ヘンリーが歌うタイトル曲「ホテル・カリフォルニア」はカリフォルニアにあるホテルを歌っている。実在するのかどうかは知らない。サビは「ようこそホテル・カリフォルニアへ、何て素敵な場所、何て素敵な驚き」と他愛もないことを言っているが他の歌詞は一つ一つ意味深長だ。
「最後に思い出した。私はドアに走る。夜勤の男が言った。『落ち着け。あなたは好きなときにチェックアウトできる。でも逃れることはできないんだ』」とドン・ヘンリーが歌うとあの長く複雑なギター・パートが始まる。このときバンドにはグレン・フライ、ジョー・ウォルシュ、ドン・フェルダーの三人のギタリストがいた。アルバムではもっと重ねてレコーディングされたはずだ。

というわけでアルバム「ホテル・カリフォルニア」はオープニング曲かつタイトル曲である「ホテル・カリフォルニア」を聴くと疲れてしまい、他の曲は聴かなくても「いいや」となってしまい、実際に聴かなくても充分なのであった。
さらにグレン・フライの話を忘れていた。

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