エンゴロ・カンテの素顔 貧困から掴み取った世界一の栄光へ

身長168センチという小柄な体格に生まれ、決して恵まれた環境で育ったわけではない一人の少年がいました。
その少年は、のちに「地球の30%をひとりでカバーする男」と称されるまでの存在になります。
名前はエンゴロ・カンテです。
パリ郊外の小さなアパートで9人兄弟の一人として育ち、21歳になるまでフランス2部リーグでさえほとんど出場経験がありませんでした。
それでもカンテは、レスター・シティとチェルシーという異なる2つのクラブでプレミアリーグ(イングランド1部)優勝を成し遂げ、フランス代表として2018年のワールドカップを制しました。
中盤を「真空掃除機」のように支配するプレースタイルと、大金を手にしても変わらない素朴な人柄は、世界中のファンと同僚たちを魅了し続けています。
この記事では、そんなエンゴロ・カンテのプレースタイル、数々のエピソード、生い立ち、そしてプロとしての輝かしい軌跡を紹介します。

プレースタイル

カンテは中盤で相手の攻撃を吸い取るように次々とボールを刈り取ることから、「真空掃除機」(バキューム・クリーナー)の愛称で呼ばれています。
広大な守備範囲と尽きることのないスタミナで、相手のパスコースを先読みし、気づけばボールを奪い取っている、それがカンテのプレーの真骨頂です。

当初は純粋な守備的ミッドフィルダー、いわゆるアンカーとしてプレーしていましたが、マウリツィオ・サッリ監督のもとでより攻撃的なポジションを経験したことで、大きく進化を遂げました。
「世界最高のボール奪取能力」と鋭い攻撃参加を兼ね備えた万能型のミッドフィルダーへと変わっていったのです。

その実力は、世界のトップに立つ監督や選手たちからも高く評価されてきました。

  • アレックス・ファーガソン(元マンチェスター・ユナイテッド監督)は、カンテを「プレミアリーグ最高」と絶賛しました。
  • フランク・ランパード(元イングランド代表MF、チェルシーのレジェンド)は、カンテを「世界最高の中盤」であり「プライスレスな存在」と表現しました。
  • ポール・ポグバ(フランス代表MF、2018年W杯優勝時のチームメイト)は、「彼がいれば12人で戦っているようなものだ」と語っています。
  • トーマス・トゥヘル(チェルシーを率いてカンテとともに欧州制覇を果たした指揮官、現イングランド代表監督)は、「彼は贈り物だ。非常に謙虚で、ピッチ上で大きな助けになる」と称えました。

エピソード

中古のミニ・クーパーを愛した男

高額な週給を手にするようになってからも、カンテは「運転の練習がしやすそうだから」という理由で購入した中古のミニ・クーパーを長年愛用し続けました。
2018年、カラバオカップのアーセナル戦へ向かう途中で事故を起こし、サイドミラーが破損、前輪のホイールアーチはえぐれて外れかけた状態になってしまいます。
それでもカンテは外れかけたサイドミラーをガムテープで補強しただけで応急処置を済ませ、2日後の練習にも同じ姿の車で乗りつけました。
当時の週給であれば新車のミニ・クーパーを1週間で5台買えるほどだったにもかかわらず、カンテはまったく意に介さなかったのです。
「車が好きだったことは一度もないし、若い頃から車への物欲もなかった」とカンテ自身も語っています。

練習場まで走って通おうとした新人

チームメイトだったジェイミー・ヴァーディの証言によると、カンテは練習場まで走って通おうとしたため、周囲が慌てて止めなければならなかったという逸話があります。
プロ入り初期のUSブローニュ時代には、実際にキックスケーターや徒歩で練習に通っていました。

「普通の給料が欲しいだけだ」

カンテがチェルシーへ加入する6週間前、給与と肖像権収入の一部を国外へ移して納税額を抑えるための会社「NKプロモーションズ」が、タックスヘイブンとして知られるジャージー島に設立されていました。
当初、カンテの代理人はこの受け取り方式を了承する意向を示していたと報じられています。
しかし2016年5月、カンテの税務アドバイザーがチェルシーの幹部へ送ったメールには「エンゴロは頑固だ、彼はただ普通の給料が欲しいだけだ」と記されていました。
他の選手やクラブをめぐる税務調査の報道を目にしたカンテは、この仕組みがのちに税務当局から問題視されるのではないかと懸念を強めていったといいます。
最終的にカンテは自らの意思でこの節税スキームの利用を拒否し、肖像権収入についてもイギリス国内の会社を通じて支払う契約が2017年2月にまとまるまで、受け取りを保留し続けました。
この判断により、カンテは年間およそ100万ポンドの収入を失ったとも報じられています。

見知らぬファンの家でカレーとFIFA

2018年、チェルシーがカーディフ・シティ戦を終えたある週末のことです。
家族と過ごすためユーロスターでパリへ向かおうとしていたカンテでしたが、ロンドンの駅で列車に乗り遅れてしまいました。
敬虔なムスリムであるカンテは、祈りを捧げるため近くのモスクを検索して立ち寄ることにします。
そこに居合わせたファンのグループに気づかれると、そのまま自宅での夕食に誘われ、カンテはこれを快諾しました。
初対面のファンの自宅ではみんなでカレーを囲みながら他愛のない話で盛り上がり、そのあとゲームの「FIFA」で数試合を楽しみます。
続けてテレビをつけ、サッカーのハイライト番組「マッチ・オブ・ザ・デイ」を一緒に観賞したところ、映し出されていたのはその日カンテ自身が出場した試合のハイライトでした。
ソファに座るカンテ本人と、テレビの中で活躍するカンテが並ぶという、なんとも不思議な夜になったのです。

胃腸炎を抱えながら戦ったワールドカップ決勝

2018年ワールドカップ決勝のクロアチア戦、カンテは後半10分という早い時間帯でピッチを退きました。
イエローカードを受けていたこともあり、当初は戦術的な交代と見られていましたが、実際には重度の胃腸炎を患いながら先発出場していたことが、のちにフランスの新聞ル・パリジャンの報道で明らかになっています。
体調が万全でないことを分かっていながらも先発を志願し、限界まで走り続けたカンテの姿は、彼のプロ意識と献身性を象徴する出来事として語り継がれています。

シャイすぎてトロフィーを掲げられなかった夜

2018年のワールドカップ優勝セレモニーでのことです。
極度のシャイさから、カンテは自分の手でトロフィーを掲げることができませんでした。
その様子を見たチームメイトのスティーヴン・エンゾンジが、他の選手からトロフィーを奪い取ってカンテに手渡し、ようやく優勝の瞬間を写真に収めることができました。

チームメイトが贈った「カンテの歌」

2018年のワールドカップ優勝後、フランス代表のチームメイトたちは、ジョー・ダッサンの名曲「オー・シャンゼリゼ」のメロディーに乗せて、カンテを称える替え歌を作りました。
歌詞は「カンテは小柄で優しい、メッシを止めた男」という内容で、パリのスタッド・ド・フランスで行われたホームカミングセレモニーでは、バンジャマン・メンディが音頭を取り、8万人の観客とともに大合唱されました。
チームメイトたちからのからかい混じりの愛情表現は、カンテがどれほどチーム内で愛される存在であるかを象徴しています。

「地球の30%はカンテがカバーしている」

尽きることのないスタミナは、「15個の肺を持っている」というジョークや、レスター時代の恩師クラウディオ・ラニエリ監督による「服の下にバッテリーを隠している」という冗談の対象になってきました。
ファンの間では「地球の70%は水で、残りの30%はカンテがカバーしている」という有名なミームで親しまれています。

岡崎慎司と交わした「言葉のいらない」コミュニケーション

2015-16シーズンにプレミアリーグ制覇を果たしたレスター・シティには、日本代表の岡崎慎司も在籍していました。
当時、岡崎は取材に対し、自分もカンテもほとんど英語を話せなかったため、ロッカールームでは言葉を交わすことができず、ただ笑顔で見つめ合うことでコミュニケーションを取っていたと明かしています。
言葉の壁を越え、笑顔だけで通じ合っていたという、「レスターの奇跡」を支えた者同士の微笑ましいエピソードです。

ファンの娘の結婚式へのサプライズ参列

2019年9月、チェルシーのファンである実業家フランク・カリド氏から、娘の結婚式への招待を受けていたカンテでしたが、フランス代表活動を理由に一度は出席を辞退していました。
ところが負傷により代表活動を離脱したことで予定が空き、急遽サプライズで結婚式に駆けつけることになります。
最後まで会場に残り、居合わせた一般の参列者たちとの写真撮影や会話にも笑顔で応じたその振る舞いは、ファンを大切にする義理堅い人柄を物語っています。

ベルギーの下部クラブのオーナーになった男

2023年、カンテはベルギー3部リーグのロイヤル・エクセルシオール・ヴィルトンを買収しました。
若手選手の育成と、アフリカの才能を世界に繋げるプロジェクトを、自らオーナーとして始動させています。

生い立ち

エンゴロ・カンテは1991年3月29日、フランス・パリ10区の産院で生まれました。
両親は1980年にマリ共和国からフランスへ移住した移民であり、カンテ自身もフランスとマリ、両方の国籍を保持しています。
「エンゴロ」という名前は、18世紀に奴隷の身分からバマナ帝国の王にまで登り詰めたエンゴロ・ディアラにちなんで名付けられました。
マリ系の家庭に生まれたカンテはイスラム教徒として育ち、大選手となった現在も敬虔なムスリムとして信仰を守り続けています。
2021-22シーズンのチャンピオンズリーグ、レアル・マドリード戦の後には、指揮官トーマス・トゥヘルが「ラマダン(断食月)による影響かもしれない」と、カンテの体調不良の理由に触れたこともありました。

一家はパリ郊外のリュエイユ=マルメゾンにある「レ・ジェラニウム」地区の小さなアパートで暮らしていました。
カンテは9人兄弟の一人として育ち、母親は清掃員、父親はゴミ収集作業員として働きながら、大家族を支えていました。
カンテがわずか11歳のとき、父親が他界します。
そして2018年のワールドカップ優勝のわずか数週間前には、兄のニアマを心臓麻痺で亡くすという、さらなる悲劇に見舞われました。

サッカーを始めたのは10歳のとき、教師の勧めで地元のJSシュレンヌに入団したのがきっかけでした。
ユース時代は同世代のどのカテゴリーでも突出した実力を見せていましたが、168センチという小柄な体格と、無欲で献身的なプレースタイルが災いし、長年プロクラブのスカウトからは見過ごされてきました。
フランスの名門アカデミーであるクレールフォンテーヌ国立養成所への入所も、一度は拒否された経験があります。

それでもカンテは、サッカー選手として成功しなかった場合の将来を見据え、学業にも熱心に取り組んでいました。
高校卒業資格であるバカロレアを取得したのち、21歳でプロとしてのキャリアを歩み始めていた時期に、会計学の専門資格であるBTSも取得しています。

プロでの活躍

カンテは21歳になるまで、フランス2部リーグでさえ1試合しか出場経験がないという、典型的な「遅咲き」の選手でした。

2010年、アマチュア契約でUSブローニュに加入し、当初はリザーブチームでプレーしていました。
2012年5月18日、リーグ・ドゥ(フランス2部)最終節のASモナコ戦でプロデビューを果たします。
チームが3部に降格した2012-13シーズンには主力に定着し、リーグ戦37試合に出場して3得点を記録、『フランス・フットボール』誌の評価でトップに立つなど、その実力が注目され始めました。
2013年にはリーグ・ドゥのSMカーンへ完全移籍し、加入1年目に全38試合に出場してリーグ・アン(フランス1部)昇格の立役者となりました。
1部での2014-15シーズンには、欧州全体で最多となるボールリカバリー数を記録し、世界屈指のボールハンターとしての才能を証明しています。

2015年8月3日、移籍金約560万ポンドでレスター・シティ(プレミアリーグ)に加入しました。
迎えた2015-16シーズン、圧倒的なスタミナと守備範囲で「レスターの奇跡」と呼ばれるプレミアリーグ初優勝の中心的存在となります。
このシーズン、カンテはシーズン合計175回のタックルと157回のインターセプトを記録し、両部門でリーグ1位に輝きました。
名将アレックス・ファーガソンをして「今シーズンのプレミアリーグで最高の選手だ」と言わしめるほどの活躍でした。

2016年3月、カンテはフランス代表デビューを果たします。
自身の25歳の誕生日となった同月29日のロシア戦では、代表初ゴールも記録しました。
同じ年の7月、移籍金約3200万ポンドでチェルシーFCへ完全移籍します。
迎えた2016-17シーズンには加入1年目で再びプレミアリーグ優勝を果たしました。
フィールドプレーヤーとしては、エリック・カントナ以来となる「異なるクラブでの2年連続イングランド1部リーグ優勝」という快挙です。
同シーズン、PFA、FWA、プレミアリーグの年間最優秀選手賞をすべて独占する個人三冠にも輝いています。

2018年のロシア・ワールドカップでは全7試合に先発出場し、大会中に合計52回のボールリカバリーと20回のインターセプトという大会最多記録を樹立、フランスの優勝に大きく貢献して世界一の立役者となりました。

チェルシー在籍中の2020-21シーズン、チャンピオンズリーグでは準決勝レアル・マドリード戦の前後半、そして決勝マンチェスター・シティ戦という、最も重要な3試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる歴史的なパフォーマンスで欧州制覇に貢献しました。
このほかFAカップ、ヨーロッパリーグ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップも制し、2016年から2023年までの在籍期間でチェルシーの主要タイトルを網羅しています。

負傷により2022年のカタール・ワールドカップを欠場する不運もありましたが、2023年夏にはフリーでサウジアラビアのアル・イテハド(サウジ・プロリーグ)へ加入しました。
2024年のEUROでは電撃復帰を果たし、開幕から2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチを獲得、試合中には初めてキャプテンマークを託されています。
このEUROでは、主要国際大会での連続無敗記録20試合という新記録もあわせて樹立しました。
2024-25シーズンには、アル・イテハドでサウジ・プロリーグとキングスカップの国内2冠を達成しています。
そして2026年2月、ユセフ・エン=ネシリとのトレードでトルコの強豪フェネルバフチェ(トルコ・スュペル・リグ)へ移籍し、新たな挑戦の舞台に立っています。

略歴

  • 1991年(0歳) フランス・パリ10区で誕生
  • 2001年(10歳) 地元のJSシュレンヌに入団しサッカーを始める
  • 2002年(11歳) 父が他界
  • 2010年(19歳) USブローニュにアマチュア契約で加入
  • 2012年(21歳) USブローニュでプロデビュー(5月18日、ASモナコ戦)
  • 2013年(22歳) SMカーンへ完全移籍
  • 2015年(24歳) レスター・シティへ完全移籍(8月3日)、プレミアリーグ初優勝
  • 2016年(24歳) フランス代表デビュー(3月)
  • 2016年(25歳) 代表初ゴール(3月29日、ロシア戦)、チェルシーFCへ完全移籍(7月)
  • 2018年(27歳) ロシア・ワールドカップ優勝
  • 2021年(30歳) チャンピオンズリーグ制覇
  • 2022年(31歳) 負傷によりカタール・ワールドカップを欠場
  • 2023年(32歳) ベルギー3部ロイヤル・エクセルシオール・ヴィルトンを買収、アル・イテハドへ加入
  • 2024年(33歳) EURO2024で電撃復帰、代表初のキャプテンマーク
  • 2025年(34歳) アル・イテハドでサウジ・プロリーグとキングスカップの国内2冠
  • 2026年(34歳) フェネルバフチェへ移籍(2月)

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